火曜日。
年間ベスト。 今週は今年を少し振り返って書いていこうかな、です。自分の確認用にだったりしますけど。
まっ、あくまでも「今日、今、振り返ると」ぐらいで、明日とかになると変わると思います。忘れているのもあると思いますし。
で、今日は
「イヴェント」&「ライヴ」を思い出してみよか、です。「アルバム」とか「曲」とか明日以降にしよか、です。
まっ、「年間ベスト」と言うよりも「日記」みたいになりました。思い出しながら書いてて改めて気付いたのは、イヴェントとかライヴも何を観るかは重要ですけど、誰と観るか、とかも大事かな、と。ご飯とかも、誰と喰うかで美味しさとか変わるのに似ています。旅とかもそうかもしれません。まっ、一人で生きていないな、です。
いきましょ。
ああ、先に断っておきますけど、長いです。
3月7日 JIMMY CLIFF @六本木・Billboard Live Tokyo
JIMMY
CLIFFのライヴは何度も観ています。その中で一番ダメで、二番目に良かったです。ダメだったのは今までの中で一番歌えていなかった点です。
Billboard LiveやBlue Noteの「一日二回公演×複数日連続実施」は、昨年のFREDDIE
McGREGOR船長も「一日に二時間の公演を一度やるよりも、一時間の公演を二度続けてやる方が喉には負担が大きい」と言ってましたけど、どのアーティストにとってもハードな様子で、今回に自分が観た東京公演最終日の最終公演では声が潰れてしまっていました。
ただ、それでも、と言うか、それゆえに響くものがありました。自分のレゲエの原体験は10代の時の当時の名古屋市公会堂でのJIMMY
CLIFF公演。それがJIMMY
CLIFFの中で自分の一番であるコトはきっと今後も変わらないと思いますが、それ以来何度も観ていて、経験値も上がっていたり、理解力と言うよりも想像力も少しは増しているコトで、今回のボロボロの公演を楽しめるコトも、それに感動もできるようになっていました。観えているコト以外にも観えるコトがあると言うか。まっ、何を言ってるのかわからないかと思いますけど、そのへんのアレは5月に発行した『STRIVE』誌に寄稿させてもらってますので、そっち
で是非。
3月30日 T.O.K. @千葉・幕張メッセ「SPRING GROOVE 2014」 自分が「仕事」として出演を働きかけた公演です。ソレはソレとして、ソレに協力して頂いた皆さんの存在を想った機会になりました。
非レゲエの最先端のアーティスト達と、それを目的としたファンの前にしたフェスで、当日は猛烈に「T.O.K.にとってはアウェーかも」と感じていました。来日前から予想していましたが、実際にそうした観客や雰囲気の中では余計に不安に思えて、緊張していました。「会場全体がポカーンだったらどうしよ・・」とか考えていました。
ただ、彼らがステージに上がって会場全体を想像していたよりもドガーンと揺らした瞬間に、それまでの不安が不要だったコトに気付き、無駄だった緊張からも解き放たれて、「ざまーみろ!」と叫んでいました。自分も心配していたくせにアレですけど、
「多分T.O.K.とかダメだよ」とか結構言われていたのもあったと思います。ただ、そう言った人達は会場には来ないのも知ってましたので、「その場にいないから聞こえないだろ」と大声で言いました。ええ、小心者です。
隣には今回の来日・出演に尽力してくれたプロモーターの仲間の女子がいました。会場がドガーンと盛り上がった時に彼女と言葉もなく、自然とハグをしていました。彼女も興奮していました。
そして、ショーの直後に「やったー」「どーなるかと思っていました」「T.O.K.はバッチリやってくれた〜」「あー、良かった〜」と号泣した彼女を見て、「出演させてよ」と彼女に頼み続けていた自分の無責任さを反省しました。昔からの仲間、T.O.K.のファンというコトで、彼女の立場を利用しようと
していたかもしれない自分に気付きました。
その号泣した様子に、彼女が自分以上に緊張していて、不安だったコトを理解しました。自分にも自分の役割と責任があるように、彼女にもソレがあります。自分のソレを実践すべく、「呼んでくれ」と言い続けたコトが、彼女のソレを脅かしてしまっていなかったか?、と反省しました。
楽屋に戻る時に何年か振りに同公演のプロモーターの首領と目が合いました。挨拶等の前置きはなく、ただ「盛り上がったね。良かったよ」とだけ笑顔で言われてスレ違った時に、彼の下で働く彼女の立場を思いました。自分の至らなさを教えてくれたのはT.O.K.の熱演でした。応戦してくれた観客でした。そして、彼女でした。
5月3日 「SOUND CITY」 @横浜・BAY HALL
当日は昼から翌朝までのイヴェントでした。昼間のイヴェントを終えて、深夜イヴェントの前にマイ・クルーと仲間のラジオ・ディレクター氏と飯に出掛けました。ラジオ・ディレクター氏の車で横浜駅前に行きましたが、食事中には臨席の若いカッブルに絡まれたりして、予定よりも長い時間になりました。
で、面倒なカップルを振り切って、深夜イヴェントに向うべく車に戻ったら、駐禁を切られていました。一瞬にして全員「あーあ」になりました。なんかそのまま会場に戻る気分にはなれず、「チト気持ちを立て直そう」とファミレスに移動しました。気持ちを立て直すべく行ったのですけど、スマホで駐禁の罰金額を調べたり、「連帯責任だから割り勘」とか話しているとテンションは下がる一方で、さらに昼間からの疲れとかも出てきて、とにかくグズグズでダラダラになりました。
で、よーやく会場に戻ったら、ちょうどJOHNNY
OSBOURNEのショーが始まるところでした。レジェンドらしい素晴らしいショーでした。落ちてたテンションも上がりました。ただ、その直後にレジェン
ドを日本に呼んでいたプロモーターのジャマイカンに面倒に巻き込まれました。
「えー、今?」「ココで?」とレジェンドのインタヴューを急遽頼まれました。予定では翌週でした。午前4時に楽屋で会ったレジェンドは、プロモーターのジャマイカンに何かを求めていて、スゴく機嫌が悪くなっていました。さらにショー直後で疲れていて「ホテルに帰りたい」で、「インタヴューなんて聞いてないぞ」とか言い出しました。それでも、レジェンドと二人きりにされて、「どーしよ?」とか思いつつ、「長い一日で、長い夜で、今年一番のグスグズで、とにかくなんか読めない展開の連続だけど、楽しむしかないぜ」とも思っていました。あと、「困ったなぁ、スゴい睨んでいるよ、俺のコト」とも。
結果としてレジェンドは良い話をたくさんしてくれました。頭の悪いカップルや、気分が悪くなったラジオ・ディレクター氏と話すのは苦手ですけど、機嫌の悪いアーティストとかと話すのは結構イケる方かもよ、と思いました。よくわからんですけど自信になりました。
5月24日 LIKKLE MAI @ハワイ・REPUBLIK
「出張」のつもりが、ほぼ「遊び」になったハワイ出張の初夜。たまたまLIKKLE
MAIのショーが現地であると知って行くことにしました。自分をハワイに呼び出したVPの社長が「俺も行くよ」と言ってたのに、「寝る」と直前にドタキャ
ンしたのは想定内で、一人で気楽にテクテクと会場に向かいました。
少し迷って見つけた会場は想像していたよりもはるかにデカく、チッタやZEPPぐらいの大箱でした。「ココでヘッド・ライナー? 客は入るの?」と心配になっていたら、会場でMAIさんと相棒のKさんに会いました。その前に会ったのが富ヶ谷商店街でしたので、お互いに変な感じでした。「えー、何でいるの?」と笑われました。
会場は8割ぐらいの入りで、「入っているけど、ただ夜遊びに来ているだけ? MAIさんとかのコトを知って来てるの?」と読めませんでした。ルーツ系のイヴェント名なのに、DJはずっとヒップホップをプレーしていますし、観客のほぼ全員がロコの若者達でしたが、格好もサーファー&スケーターな感じで、所謂「見てわかりやすいレゲエ・ファン」とかはほとんどいませんでした。
前座に続いて、ヘッド・ライナーとしてMAIとんとKさんが登場したのは深夜でした。彼らが登場した瞬間にそれまでどっか集中力も一体感もなかった1000人ぐらいが一斉にステージ前へと移動して「ほー」。MAIさん登場で大盛り上がりで「ほー」。で、「ほー」ではなく「えー?」と驚いたのは、ただ踊ったり、盛り上がるだけではなく、MAIさんと合唱して歌いまくっていて、「スゴいことになってるぞ!」&「スゴいものを観ているぞ!」と思いました。
それまで伝え聞いてた彼女の現地での人気をリアルを実感しました。あと「なんでソレが日本ではちゃんと伝えられていないだろ?」とも思いました。初めてMIGHTY
CROWNをニューヨークのアマズウラで観た時、初めて松井秀喜をヤンキー・スタジアムで観た時と同様に興奮して、勝手に誇らしく思いました。衝撃度で言えば、今年ダントツでした。あと海外遠征初夜は無理しても夜遊びすると時差ボケもなくなるコトを知ったのも大きな収穫でした。
9月8日 横浜レゲエ祭 @川崎・東扇島東公園
客席だけで過ごした「レゲエ祭」は数年振り。で、この時ほどズブ濡れになったのは初めて。雨の記憶が強過ぎて、正直ショーはほとんど記憶ナシ。J-
BOOGと、JAH CUREとか「観た」ぐらい。RYO THE SKAYWALKERの時の雨がハンパなくて「罰ゲームかー」と叫んだぐらいの印象。
何度もズルして途中でREGGAE
ZIONのブースに避難させてもらったり、出会ったビニールを被った仲間達と「さみーよねー」「大丈夫かー?」「洒落にならないだろ」「ジャマイカだった
ら全員帰ってるよ」とか笑ったり、励まし合ったり、とにかくショーどころではなく、「なー、俺達一体ココで何をやっているんだ?」と笑い続ける時間の連続。
雨足が強まると「わー」と避難して、弱まると「よーし、戻ろうー」と走って、オッサンになってからの生意気な関係者とかではなく、ユーツ時代の観客気分を仲間達と堪能。そのおかげで普段は挨拶ぐらいの仲間との距離も密接に。結局帰りも都内に居た仲間が心配して出動してくれた「救援車」に救出されて帰還。とにかく音楽のイヴェントに参加して、ココまで音楽を聴かなかったイヴェントは初めてでした。
ただ、ひたすらに「仲間は素晴らしいね」な時間で、スニーカー一足潰した分は楽々楽しめました。何度も参加していて、記憶がぐちゃぐちゃになる「レゲエ祭」ですけど、今回のコトはきっと
は忘れません。「2013年のレゲエ祭? 大雨、川崎、仲間だよ」と即答すると思います。
9月20日 EXTRA CLASSIC @乃木坂・Club Cactus 『MURO DIGGIN’GREENSLEEVES』発売と連動した内容で、MUROさんも出演して、作品に使用したGREENSLEEVES音源を中心にプレーして頂きました。作品のリリースの二日後に実施されたイヴェントでした。
MUROさんとは二年ぐらい前に同作の制作開始の時に「お願いします」と話したぐらいで、あとはずっとマネージャー氏を通じて連絡取り合っていたぐらいです。制作に関してはマネージャー氏を通じて、と決めて、会っても短い挨拶と確認ぐらいにしてました。
当日も出番が終わったタイミングに「無事にリリースさせて頂いたお礼と挨拶だけ」と声を掛けに行きました。すると、満面の笑みはいつも通りでしたけど、
レコードを回し終えたばかりの少し汗ばんだ手でいつもの数倍の強さで握手をされて、少しハグし合う感じになった時に耳元で「二木さんにも聴こえていますよ!」と言われて、「えっ?」と思って、身体と手を離しつつMUROさんの顔を見たら、「聴こえてますから!」とまた言われて、何も言えなくなりました。
一緒に行ったマイ・クルーと会場を出てから、それを伝えると、「あの短い時間にそんな会話していたんですか?」と言われて、「そうなんだ、ちょっとビックリした。そんなコト言われるとか思っていなかったし・、」とか話しているうちに少しグッと言うか、泣きそうにもなりました。
MUROさんとリンクさせてくれたのは亡き二木崇さんでした。亡くなる前に「やろう」と言われていたのがMUROさんによるGREENSLEEVESのミックスCD。つまり今回の作品でした。
自分がこの作品を「やりたい」のはGREENSLEEVESの日本での認知とかを広げる同レーベルの代理店としての立場もありましたけど、「やらないといけない」だったのは残された仲間からの「宿題」にも思っていたからでした。二年掛かりましたけど「宿題」は完成しました。ただ、先に書いた通りに
MUROさんとはそんなに話したコトも、ベタベタした関係でもなく、二木さんのコトをMUROさんと話したコトはありませんでした。自分の中の「宿題」はソレとして、それに関係なく作品や仕事として、MUROさんには取り組んで頂いたつもりでした。
ゆえに、その時のMUROさんからの突然の言葉に驚いてしまい、言葉を失ってもしまいました。マイ・クルーに「MUROさんはわかっていたし、伝わってもいたんだね」と話しているうちに泣きそうにもなりました。
勿論、「そりゃそうだよね、自分達のリンクのきっかけを思えば。二木さんだもん」ですけど、でも、あの日、作品をリリースした直後に、
GREENSLEEVESばっかりをプレーした直後にそう言われると、「ああ、MUROさんは二木さんにも聴こえるようにプレーしていたんだね」で、なんか「おーい二木さん、MUROさんがプレーした通りに、作品はリリースできたよ、残された宿題は出来たよ」と報告もできた気持ちになりました。
亡くなった仲間を思いつつ「生きていて良かった」と思える瞬間はあります。
と、長い。
あと、これら以外にもCAPTAIN-C 20XXの10周年ダンスとか、レゲエじゃないけど、アリシア・キーズとか、色々とありますけど、長過ぎなのでこれぐらいにしておきます。
全てのプロモーター、アーティストに感謝。居合わせた仲間達にも感謝。素晴らしい時間に感謝します。今年もそうした時間を過ごせたコトを感謝します。
そんな感じ。ではでは。