なんか気持ちが引っかかっていた。ヴォイス・メールのオニールが亡くなってから
ずっと引っかかっていた。オニールは先週のジャマイカ時間の26日に亡くなった。銃弾を浴びて二週間、「病院に行ったが、彼は大丈夫だ」とその間には
TOKのクレイグからも連絡をもらっていたが、残念ながら亡くなってしまった。
公表された誕生日が1974年5月8
日。36才だったことは初めて知った。想像していたよりも年がいっていた。思っていたよりも苦労人だったのかもしれない。
ヴォイス・メールとは仕事したことはない。オニールとも四回ぐらい場を共にしたけど、ちゃんと話したのは一回だけ。それは、最後に会った2008年の愛
知、『REGGAE
X-PLOSION』の時。二日開催のイヴェントで彼らは初日に出演していた。自分は二日目に出演するアーティスト達に用事があって、二日目に合わせて愛
知に向かった。
到着したセントレア空港に隣接したホテルのロビーに、ヴォイス・メールの三人は居た。ソファーに深く
座っていた。二日目の公演の直前で、招聘したプロモーターは忙しくて、彼らが色々と話しかけることにちゃんと対応する余裕はなさそうだった。
明らかに不機嫌そうな彼らを見かねて、「どうしたの?」と話しかけてみたら、「買い物に行きたいんだけど、名古屋の繁華街までの行き方が分からない。車を
用意して欲しくて、それを頼みたいんだけど、ずっと待たされたままだ」とオニールは答えた。その要望はプロモーターの状況を見る限り、到底叶いそうもな
かった。それどころじゃないぐらいにドタバタしていた。それを伝えつつ、そこからしばらく話した。
自分がVPと仕事し
ていて、その関係でTOKの日本での活動にも少し関与していることを知ると、オニールはサングラス越しに笑った。「彼らの日本での成功もあって、自分達も
同じグループとして日本に進出できたんだと思っているよ。感謝もしてるんだ」と言った発言は少し意外だった。
それ以前にTOK
の関係者から「ジャマイカのメディアで『ヴォイス・メールが日本でアルバムを大ヒットさせて、ゴールド・ディスクを獲得した。数十万枚売れている、TOK
より売れている』と報じているが、それは事実か?」と息巻いた連絡をもらったことがあった。「お前がジャマイカのメディアで発言してくれ、そんなのはデマ
で、TOKの方が売れている事実を伝えてくれ」と言われたこともあった。そんな話は複数回あった。全て聞き流したけど、それ以来、両グループの関係はそれ
ほど良くはないんだろ、と思うようになっていた。
また自分がTOKの日本での活動に少し関与していたり、彼らと過ごし
た時間もあって、どこかで自分が「TOK寄り」になっていたこともあって、ヴォイス・メールをその音楽性とか活動とは別に、どこかで彼らを面倒に感じても
いた。
ヴォイス・メールを気持ちのどこかで面倒に感じるようになったのは、彼らのコト以上に、彼らが日本で契約してい
た日本のメーカーのコトもあった。積極的にプロモーションを仕掛けたコトは素晴らしいと思う。ただ、そのとんでもない契約金は、日本とジャマイカだけでは
なく、世界のレゲエ・ビジネスでは異常で、結局思っていたセールスに達せない、それを回収できないと判断するや、すべてを投げ出したように見え、ヴォイ
ス・メールだけでなく、同様に大枚をはたいていたシャギーや様々なアーティスト、レゲエ作品のリリースを即座に止めてしまったのは面倒だった。理解は出来
るけど、酷く失望もした。
愛知で話した時もオニールはそのメーカーの姿勢を嘆いていた。「ただ、もう契約は終了するか
ら関係ない。すぐに新作を作るから、それを日本で出せないか?」と言われ、実際に第三者を通じて帰国後にもその打診が届いた。しかし、その中で「あの日本
のメーカーの時と同じ契約金が欲しい」と言われて、面倒になった。その金額を改めて確認した時には、「コレはありえない数字で金額で、現実的な考え方をし
ないと無理で自分は力になれない」と返したことがあった。それで、その日本のメーカーが彼らの中に残したものとかも面倒に感じた。何か罪深いものすらも感
じた。
とにかくヴォイス・メールはなんか自分には面倒だった。重ねて、それは彼らの音楽性とかではない。あくまで、自
分の置かれた状況や環境や、それに対する自分の考え方や姿勢がそうさせた。自分のそうした小ささは理解していたつもりだった。
愛知でオニールがTOKについて語ったコトは本当だったと思う。オニールが撃たれてすぐに病院に駆けつけたクレイグ、また亡くなった直後に追悼曲を発表し
たTOKとオニール/ヴォイス・メールとの関係は決して悪くなかったと思う。
一番思い出すのは愛知での会話よりも、
2005年の六本木/ヴェルファーレ。ローリーとリッチー・フィーリングスによるストーン・ラヴと、キップ・リッチと共に初来日した時のコト。面倒も多く
て、話はしなかった。ただ、動員も悪く、閑散とした終演後のステージで、彼らは持参したポスターにサインをして、残っていた観客に配っていたのを強く覚え
ている。オニールもステージ上にしゃがんで、一枚一枚にサインをしていた。その必死さと真摯な姿勢が強く残っている。それを見ていた自分のその時の複雑な
気持ちも覚えている。
なんか色々と引っかかっていた。全部過去の自分が理由だ。オニールやヴォイス・メールが理由では
ない。オニールが亡くなったことで気付いた。
どうか安らかに。そして、ありがとう。
そんな
感じ。ではでは。