2015.12.10 Thursday
「GARNETT SILK」&「RICKY TOOPER」=「TBT」。
木曜日。
12/10。
TBT(THROW BACK THURSDAY)気分で。
本日はGARNETT SILKの命日。
GARNETT SILKについては、以前に、旧サイトで、藤川毅さんの連載「レゲエ虎の穴」で詳しく紹介してもらっています。是非改めてご確認下さい。合せて、そこで紹介されている音源にも触れて下さい。
藤川毅「レゲエ虎の穴」(リンク)
亡くなったのは1994年。事故死。21年前。
「と言うコトは、発売したのはちょうど20年前か」です。
『KILLAMANJARO REMEMBERS GARNETT SILK』ー。没後一周年として、1995年12月1日にリリースしました。24x7 RECORDSとして、以前に属していたレコード会社から、国内盤として。現在は廃盤。毎年、12/10になると、この作品に触れて、聴き直している気がしています。
95年の夏に「TOOPERがお前に会いたがっている」と連絡をくれたのは、当時のジャマイカの最大手のレコード・プレス&配給会社のSONIC SOUNDSのJASON LEEでした。キングストンに滞在している時でしたでした。ジャマイカ最強のサウンド・システムのKILLAMANJAROのメインMCで、スーパースターだったRICKY TOOPERがなぜ自分と会おうとするのかはわかりませんでした。
SONIC SOUNDSに舎弟一人を連れて現れたTOOPERは、ほとんど自分の顔を見ようとはしないで、「コレをリリースして欲しい」とDATテープを置いて、打ち合わせもそこそこに帰って行きました。そのDATに収録されていたのが、KILLAMANJAROのGARNETT SILKのダブ・プレート音源集でした。
帰国後に音源を全て確認して、「リリースしよう」と言うか、「したい」で、「するぞ」で、その作業に取り掛かりましたけど、簡単ではありませんでした。
TOOPERは「俺がGARNETTと録音したものだから俺の作品だ」と言いますけど、「でも、コレって、KILLAMANJAROのものとして録音しているのだから、オーナーであるPAPA JAROが契約先になるのでは?」で、何度も確認作業をしなければいけませんでした。
結局、TOOPERは「PAPA JAROからは俺が了解を取っている」の一点張りで、色々と調整をした結果、契約書内に「その言葉を保証する」みたいな一文を追加してTOOPERに署名を求めました。立ち合っていたJASON LEEにも「なんか問題となった時は」と契約に参加してもらいました。JASON LEEからもPAPA JAROに確認してもらい、その時点では「PAPA JAROも『問題ない』って言ってるよ」と聞いてました。
あと、それでもどこか不安で、作品のクレジットにも「TOOPERがプロデューサーです」を記載したのと、それは「どうしてもこの作品をリリースしたい」というTOOPERの思いを作品に込める目的もありましたが、イントロにTOOPERの音声、メッセージを録音・収録させることで、作品がTOOPER主導で作られているコトも分かるようにしました。クドく、そのメッセージをテキストでCDの裏面にも掲載しました。そのメッセージにあった言葉をタイトルに決めました。
それ以上に大変だったのが、全曲がダブ、という点でした。無許可で色々なレーベルのレコードの裏面、VERSION、RIDDIMを使用して、その上に歌っているので、そのRIDDIMの権利をクリアしていくのが大変でした。
で、それはホントに以前に24x7 RECORDSが属していたレコード会社の法務課の担当者の努力と理解と忍耐に尽きるんですけど、色々と対応策を検討してもらい、連日連夜、一つ一つ確認してもらい、なんとかJASRACに申請できるようにしてもらいました。「もう二度とこんな企画をやるな」と笑いながら叱ってくれました。「その分、ちゃんとリリースしろよ」とも。
で、アートワークも日本で制作しましたけど、一度だけGARNETT SILKが来日した際にホテルで撮影していた石田昌隆さんの写真を使わせてもらうことにしました。写真を見せて頂いて、すぐに「コレが表」「コレが裏」と即決でした。写真が既にジャケットでした。
で、デザインは現在もマイ・デサイナーのMORROWに依頼しました。覚えているのは、作品のマスタリングをしていた東銀座のスタジオで二人で校正紙を確認したことです。
で、現在でも「なんでそれをOKしたんだろ?」ですけど、その時にMORROWが「タイトルの黒の部分は普通の黒ではなくてニスの入った特色の黒にしたい」を「はーい」としてしまっていて、それによって通常印刷の四色製版ではなくて、六色製版になって、印刷代も上がってしまってました。「大して特色を使った効果は出てないんだけど・・」とどっかで校正紙を見ながら思ったハズですけど、そのままスルーしてました。
で、そのマスタリングも超難産でした。曲によってレベルはバラバラで、「VIBES一発」で録っているものはマスターがレベルを超えてしまってバリバリと音割れしてしまっていたり、RIDDIMもレコードを使用していてノイズだらけで、熟練のエンジニア氏も「うーん、コレは面白いコトになってるね」「マスターがレゲエだね、ジャマイカだね、あはは」と笑ってくれましたけど、「かなり時間掛かるけど平気?」「いや、かなりスタジオ代が掛かるってコトだけど」とも言われて、その時は全く目が笑っていませんでした。
で、それでもマスターのレコードのノイズとかは残りますし、意図的にも残して、それを今度は営業・宣伝用に「試聴用カセット」を作って各店頭とか媒体に送るんですけど、レゲエ専門誌ですら「ノイズがある」と書かれてしまい、あと、そうしたものに慣れていない店頭担当者からも「コレって間違っていません?」「なんか音が悪いんですけど」とか言われて、期待していたオーダーにはほど遠い数字しか確保できませんでした。「リリースしてからの反応を見てから追加します」みたいな感じでした。
と、それまでの色々な労力、協力頂いた色々な人達のコト、掛かった費用、あとTOOPERの強い思いを思うと、「惨敗模様」「負け戦」で、「ホントにすいません」なままにリリース日を迎えました。
ですが、リリースしたら、ドーンでした。ドーンと言っても、当時のSHINEHEAD、MAXI PRIEST、INNER CIRCLE、JANET KAY、DIANA KINGとかに比べると、大したことはないですけど。ええ、レゲエ大ブームだった当時でも、ジャマイカの直送作品はそんなには売れなかったです。よく「90年代はレゲエがバブル」とか言いますけど、そんなに優しくもなかったです。
でも、それでも当時から弱小の24x7RECORDSのアイテムとしてはドーンで、色々なノルマをリクープしてくれました。何よりもハーコー・ファンが即反応してくれて、そこからの口コミとかもあって、届いていきました。
あと、日本でしかリリースしなかったので、海外からの問い合わせが多く、当時のレコード会社の特販部みたいなセクションの人から、「ドイツから3000枚オーダーが来てる」「カナダから3000枚」「イギリスから3000枚」みたいに連日報告されて、「えっ?」「日本より売れてる日本盤だよ」で、同部署の課長さんに「飯行こか」とゴチしてもらいました。
で、「良かった」「終わった」「次いこか」でしたけど、その後にトラブル発生で、「げーっ」でした。ええ、それは「PAPA JAROが大激怒」でした。ツメが甘かったんです。自分が本人に確認しとけば良かったのを他人に任せたからトラブったんです。
で、それはかなりシリアスな感じになっていって、JASON LEEからの報告を聞いていて、「ああ、次にジャマイカ行ったら絶対殺されるな」でした。こちらがそうしたコトが起きた場合にと、色々と危惧も注意もして作成・締結していた契約書とかは、「そんなの関係ねぇよ、クソ日本人」「小僧、なめんよ」な感じでした。
で、PAPA JAROもTOOPERが主導したコトであるのは理解はしていましたけど、自分のサウンドのメインMCでスーパースターであったTOOPERとは揉めたくもない様子で、「全てお前達が悪い」と自分とJASON LEEに怒りの矛先を向けてました。
で、まぁ、それは結局、そのトラブルはTOOPERとPAPA JAROの間で解決した様子で、事後報告で「こーすることにした」で終わったんですけど、「もしかしたら」と思ったのは「TOOPER、KILLAMANJARO脱退」を聞いた時です。
ええ、その時にはこの件が影響したと想像しました。ユーツの頃は想像力が豊かなのもあります。ただ、そのトラブルによって、結果として、どっか後味が悪く、また、若く、青く、無知で、甘かった、ユーツ時代の荒っぽい仕事になってしまってました。それもあって、数年は聴き直したりしませんでした。その単純さもイカ臭いです。
で、それを本当の意味で解消できたのは、TOOPERが日本に来て話した時です。それまでにも海外の現場で観たりすることはありましたけど、ちゃんと話すのはある意味初めてて、上述した通り、最初に会った時もほとんどアレでしたので、その時にこの作品のコトを本人に確認し直しました。それも以前にサイトで紹介してます。
RICKY TOOPER インタヴュー(リンク)
TOOPERには「で、結局、PAPA JAROとはどう解決したんです?」と聞きましたけど、その内容からして、TOOPERとPAPA JAROの二人だけのコトに思えたので書きませんでした。ただ、TOOPERによると、確かにそれはとっくに解決済みで、それによってGARNETT SILKの遺族への助けともなっているらしく、それもあってか現在でもTOOPERはこの作品のコトに強い思い入れと誇りに思っているコトが伝わりました。ああ、ココでもGARNETT SILKとのコトをたくさん話してくれていますので読んでみて下さい。
で、そうしたTOOPERとの会話の中で、自分がずっと「後味悪く思っていた」みたいなコトを伝えると、TOOPERが「そんなコトはないだろ」と「何言ってんの?」みたいに笑ってくれてコトで、「そっか」となんか楽になれました。反省と痛みは忘れないですけど。で、現在は、「まぁ、色々と学習させてくれた作品だったね」で、なんか「良かったのかな」な感じです。
って、もうとっくに廃盤の作品のコトを言われても、です。
ええ、まっ、12/10、命日、あと、木曜日でもあったので、TBTってコトで勘弁して。
って、ホント、人に迷惑しか掛けてないな。現在も。
スイマセン。
そんな感じ。ではでは。